母が患者に・・・
その日は突然やってきました。
7月半ばも過ぎた頃、実家の父から突然電話がありました。
「2、3日前からお母さんが胸と背中が痛いと言っている。そして吐いているんだ。さっき近所の開業医さんに行って診てもらって整腸剤をもらってきた。変なものでも食べたかね。」と。
なんとなく嫌な予感がしました。
全く既往歴のない母が、「胸と背中が痛い」「吐いている」と。
この2つの言葉がとても気になったのです。
そして年齢は70代。
「本当に食中毒かな?」
当時私はICUに勤務していました。こういう主訴の患者さんと何人も接してきたのです。
「急性大動脈解離、もしくは急性心筋梗塞なんじゃないか」と。
自分の勤務している病院の救命医に相談すると「すぐに連れてきて」と言ってくれて、私はただちにERに母を連れて行くことにしたのです。
診断は「亜急性心筋梗塞」
診察の結果、亜急性心筋梗塞とのことでした。
心筋梗塞とは、心臓に栄養を送る冠動脈が閉塞し、その先に血液が流れず心筋が死んでしまった状態のことを言います。
激しい胸痛が続くのが大きな特徴です。また首から 肩にかけての放散痛や絞扼感、食道や気管の痛みがあることもあります。
心臓の働きが著しく低下し、命に関わるような危険な不整脈がでることもあります。
母の心電図を見るとT波が陰性化しており、少し時間が経った心筋梗塞(亜急性心筋梗塞)であったことが分かりました。
また採血の結果、心臓の筋肉が壊れたときに上がる項目(CPK)が上昇しており、すでに心筋梗塞を起こした後だったことが明らかでした。
心電図やエコーの結果、おそらく下壁に梗塞があるとの診断で即入院となりました。
嫌な予感はやはり的中しました。
そしてまさか自分が働くICUに入院するとは・・・。
18時頃ERに連れて行ってから、消灯をとっくに過ぎた22時近くに母はICUに入院しました。
4時間近く診察や検査をしてもらい、そして重症な病気。
いろんな気持ちを短時間で感じながら、私も少し疲れていました。
同僚の看護師たちが、ICUで母と私を待っていてくれました。
この時私は初めて「突然入院する患者の家族の心境」を味わったのです。
看護師でありながら、突然命の危機状態を宣告された母に、私はなんとも言えない不安感を感じていました。
「患者も大変だけど、こりゃ家族も同じくらい大変だな」
迎え入れてくれた看護師の声かけや柔らかい笑顔にとても安堵したのを今でも鮮明に覚えています。
「看護師の初期対応って本当に大事だなあ。とってもありがたいなあ」
母の急変
心筋梗塞は、発症後6時間以内に冠動脈の血行を回復しないと心筋が救えません。
梗塞した部位が冠動脈の主幹部であればあるほど、胸痛や圧迫感、絞扼感などの強い症状が現れます。
急性心筋梗塞の患者さんは、その強い症状により救急車で運ばれてくることが多いのです。
ただちに血行を回復するための治療が行われます。
冠動脈内の血栓を溶かすための血栓溶解療法や経皮経管的冠動脈形成術(PTCA)や冠動脈バイパス術(CABG)が行われるのが通常です。
母の場合は亜急性期、つまり急性期の段階を過ぎてしまった時期でした。
すでに心筋は死んでいるものの、冠動脈主幹部よりも下にある左回旋枝(LCX)の梗塞でした。
そのためまず心臓の状態を整えてから検査や治療をする方法が取られました。
血管を広げ血流をよくする薬(ニトロール)と血液をさらさらにする薬(ヘパリン)が投与され、1週間後にカテーテル検査を行う運びとなりました。
カテーテル検査当日、母は「行ってくるね!」と笑いながら同僚看護師に検査室まで車椅子で連れて行ってもらいました。
父と私はその母を笑顔で見送っていました。
約30分後、カテーテル室から私宛ての電話がありました。
「お母さんが検査中に急変したから、今すぐにおりて来て」
こういう場面、実は何回か経験したことがありました。
カテーテル中に具合が悪くなって、ご家族を検査室にお連れする。
ご家族の不安そうな表情や言葉に対し、この短時間で看護師はご家族の気持ちに寄り添いながらお連れすることしかできません。
私はとりあえず父には知らせず、まずは自分の目で母の状態を確かめるという選択をしました。
最悪なことがあっても、私が父に説明しようと決めました。
カテーテル室に行くと、心臓マッサージをされ、意識朦朧としている母の姿がそこにありました。
目は半開きでやや上転しているようでした。
心電図モニター上、心拍は30台のⅢ度房室ブロック(心房から心室に全く伝導が伝わらない状態)でした。
血圧も50台に下がっていました。
私は朦朧状態の母の肩をたたきながら「お母さん、分かる?お母さん、分かる?」と呼び続けました。
看護師の自分と母の子である自分。
意外と冷静だったことを覚えています。
検査をしてくれている先生方、看護師たちも必死で蘇生をしてくれました。
担当看護師も、ずっと母の名前を呼び続けてくれました。
心拍や血圧を上げる薬も使い、少しずつ心拍や意識が戻ってきました。
「あれ?あんた、なんでここにいるの?」と母。(笑)
検査だけのはずでしたが、緊急で大腿動脈からカテーテルを入れてもらい、狭くなっている血管にステントを留置する治療に変更になりました。
母の急変は、左橈骨動脈からカテーテルを入れた検査の際、それが刺激になり血管内に痙攣(スパズム)を起こし、一時的にショック状態になったことが原因でした。
これだけ医療技術が発達しても、やはり検査や治療には合併症や偶発症が生じることがあります。
それによって後遺症を引き起こしたり、場合によっては死んでしまうこともあるのです。
確率はとても低いのですが、そういったことがゼロでないことを、あらためて思い知らされた気がしました。
今思うこと
先生方の懸命な治療と同僚看護師たちの献身的な看護のおかげで、母は無事に退院しました。
現在は趣味のマジックをボランティアでさせてもらったり、体力維持のためにスイミングまで行くようになりました
おかげさまで父も母も仲良く暮らしています。
あの日、救命医がすぐに診てくれたこと、即入院させてくれたこと、出迎えてくれた看護師の対応、急変時にみんなが懸命に蘇生をしてくれたこと、その後の適切な医師の治療や看護師の観察、一般病棟に移ってからの退院までの日常生活の指導、など。
たくさんの方々の知識、技術、対応、優しさ、思いのおかげで、母は今も生きることができています。
患者の家族になったことで、私は身をもって不安と恐怖を味わいました。
何の前触れもなく、突然「母の死」を体験することになったかもしれないのです。
突然の入院を余儀なくされる患者さんはたくさんいらっしゃいます。
重篤な病気、不慮の事故など、予想もしなかったことが起こることがあります。
頼るべくは、医療者なのです。
そんな時、医師の真摯な態度や看護師の優しい声かけでどんなに救われたことか、どんなに心のよりどころになったことか。
入院生活は、その人の人生にとって一瞬の通過点かもしれません。
でもその通過点がなければ、一瞬にしてその先の人生がなくなることもあります。
忙しくて疲弊すると、ついつい患者さんやその家族の目線で考えられなくなることが多々あります。
実際私も目の前のことだけに追われると、医療者中心の思考になっていることがあります。
「えーー、この時間に入院?もう満床なんだけど。」
「こんな忙しいのに、なんでこんなことでナースコール?」
「夜勤で指示の変更なんて、先生ちょっと時間を考えてよ」
なんて・・・。
冷静に考えると、かなり恥ずかしいです。
でもそんな時にこそ、その人の未来の人生をふっと考えると、なんだかふわっと優しい気持ちになれます。
突然の入院から急変を経て、患者の家族を体感したことを、今ではとても良かったなと思います。
そして、母に関わってくださった全ての同僚に心から感謝を捧げます。
ケアスタッフ
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